Oronce de Beler オロンス・ド・ベレール
黄金丘陵、コート・ドール。秋、紅葉したブドウの葉に太陽があたり、あたかも金色の絨毯を敷いたような光景から、そう呼ばれるようになった。ブルゴーニュワインの中心地はコート・ドールと言っても過言ではない。
その黄金の一帯に、一際神々しい光を発する村がある。そう、ヴォーヌ・ロマネ村である。世界最高のワインと言われる、ロマネ・コンチの畑を有し、名だたるワイン畑がひしめき合っている。
また、ロマネ・コンチ社をはじめ、リジェ・ベレール、アンリ・ジャイエなど、そうそうたる顔ぶれが、この村に本拠地を構えているのだ。その村の最も古い建物「メゾン・ロマネ」、そこに移り住んできた青年がいる。オロンス・ド・ベレール、今回の特集の主役だ。
何を隠そう、オロンスを紹介してくれたのは、地元民はもちろんのこと、ワイン通や生産者たちが足しげく通う、人気ビストロ「カーヴ・マドレーヌ」のオーナー、ローラン・ブルラン氏(通称ロロさん)である。彼のワインの知識や情報量は膨大で、右に出るものはいない。
そのロロさん曰く、「彼のワインは本当に美味しいよ。でもオロンスは残念ながらネゴシアンなんだ。彼のワインを勧めても、ネゴシアンのものでしょ?と、試してもらえないこともあるんだ。みんな、耕作も醸造も一括しているドメーヌは好きだけれど、畑を持たないネゴシアンはあまり好きじゃないみたいだね。でも、僕は彼のワインが大好きだよ。彼のワインを飲むと、どんな仕事をしているのか、醸造方法やそれにかける熱意が伝わってくる。本当に美味しいものを知っている人たちは、彼のことを、ただのネゴシアンだとは思っていないよ」
ロロさんのコメントを胸に、インタビューを読んで欲しい。きっと、彼のワインが飲みたくなるであろう。そして、ネゴシアンという先入観抜きに、彼のワインを楽しんでもらえるに違いない。
オロンス・ド・ベレール
34歳になるオロンスは、9年前、ワイン作りの夢を抱き、ヴォーヌ・ロマネ村に移り住んできた。それまでは、パリの広告代理店に勤めるバリバリの営業マンであった。
ワインのイロハも知らない彼がとったユニークな手段
ブルゴーニュの畑は、パリの地価より高いとさえ言われている。20代前半の若者が、おいそれと購入できるものではない。そこで彼の取った手段とは、愛車のハーレー・ダヴィッドソンを売り、耕作馬を購入。そして、愛馬「Prosper(プロスペール)」を伴って、生産者の耕作を請け負ったのだった。
簡単にワインが造れるの?
いや、ワイン作りは簡単ではない。もちろん彼も醸造はブルゴーニュの学校で学んだ。しかし、彼の情熱と類稀なるセンスでそれをやってのけている。愛馬と二人三脚で始めたメゾン・ロマネは、今ではネゴシアンのレベルを超え、ワイン愛好家やワイン通たちの舌をうならせている。
ネゴシアン
畑を持っていなくとも、ワインを作る事は出来る。ネゴシアンとなって、畑の持ち主や生産者からブドウの実を購入したり、アルコール発酵前のブドウジュースを仕入れ、醸造することが可能だ。彼は耕作を請け負った生産者から、お給料の代わりにブドウをもらい、自らのワインに変えていった。
シャトー通りとグラン・クリュ通りが交差する、少し開けた場所。さすが、歴史的建造物なだけあり、小さくではあるが「メゾン・ロマネ」と石版が掲げられている。5分ほど待っていると、黒いテンガロンハットをかぶった青年が建物から出てきた。ワインの世界では絶大な存在感を放つブルゴーニュだが、農業を主体とした街であることには違いはない。農夫というのは世界共通の風貌を持っているものだが、この青年はどこかあかぬけた、洒落た伊達男の印象を漂わせている。彼こそ、オロンス・ド・ベレール、その人だ。挨拶早々に、彼は私達にこう告げ、車へ同乗するように促した。
「まずは僕の動物たちを紹介しよう。丁度、彼らもお腹を空かしている頃だから、朝食をあげに行くのを付き合って欲しい」
動物たち?と思いつつも、言われるがままに車に乗り込んだ。事前調査では、耕作馬が一頭いるという話だったが。
グラン・クリュ通りに入ると、すぐ右手にジャン・グロのドメーヌがある。そこを過ぎると、右手に「ロマネ・サン・ヴィヴァン」、左手に「グラン・リュー」の畑が顔を出す。そして前方の石垣を右折すれば、そう、世界最高峰のワイン畑「ロマネ・コンチ」だ。ワイン好きの聖地で、おそらく物凄い数の人々が、3メートルほどの十字架のモニュメントを、ブログやフェイスブックに投稿したり、壁紙にしたりしているだろう。道なりに進めば、百の花の香りを集めてきたと称される「リシュブール」が姿を現す。小高い丘へ向かって行くと、左前方、少し先に石垣が見える。かの有名なアンリ・ジャイエが耕した「クロ・パラントゥ」である。
自然の中で自然のままに育てる
動物に会いに行くにしては、何と贅沢な道のりだろう。有名畑が連なる一帯を過ぎ、三分ほど走ったところで車を停め、少しぬかるんだ林道へと歩みを進めた。
「こっちの白い方がプロスペール、九歳、鹿毛の方がクアルト、八歳。僕と一緒に仕事をしている子達だよ。どっちも去勢した牡馬で、体重は約1トンあるんだ。自然のままで育てているから、病気しらずの丈夫な子達なんだよ」と、愛馬たちに牧草を与えながら、少し自慢げに紹介してくれた。
「まさか二頭もいると思わなかった」
と告げると、
「豚も三匹飼っているよ」、そう言って、今度は豚たちのもとへ案内された。
「近所でも豚も飼われているけど、僕の豚の方がよっぽど美しいんだ。三匹とも雌で、一匹は現在妊娠中。ワインにはハムが必要だから、豚を飼育して美味しいハムにするんだ」
これには一同驚きを隠せなかったが、農とはかくあるべきであり、彼の屈託のない笑顔がそれ以上の想像を打ち消してくれた。
「さあ、彼らの朝食も済んだし、ニュイ・サン・ジョルジュのアトリエに君たちのためのワインを取りに行こう。車の中でもインタビューしてくれて良いからね」
そう言って、車を走らせた。
質の良い人生だと思うんだ
「パリで働いていたって聞いたけど、どうしてブルゴーニュへ?」
「パリの広告代理店で営業マンをしていたよ。広告の仕事が嫌いになったわけじゃなくて、ワインを造りたいという気持ちが強くなったんだ。祖父がカルバドスでシードルを造っているから、その影響は大きいね。アイフォン片手に生活するよりも、こっちの方が質のいい人生だと思ったんだ。あの頃も忙しかったけど、今は自然の中で、もっと忙しくしているよ。ワイン、畑、動物、すべての自然を対象としてね」
「すぐにワイン造りをはじめたの?」
「まさか!全くの素人だったから、基本的は醸造を学びに学校へ通ったよ。その時、さっきの白い馬、プロスペールを招き入れたんだ。彼をどのように働かせるかも勉強した。今はハム作りのために、かれこれ三年間、コルシカに通っているんだよ!」
一瞬、さっきの豚ちゃんが頭をよぎったものの、コルシカ産のハムという魅力的な言葉に、ついつい深く頷いてしまった。
「馬で耕作する畑はどんどん増えてきているんだよ。そのおかげで、ボルドーやシャンパーニュなど、色々な場所へ馬のレクチャーをしに行ったり、馬の耕作用・荷車を貸す仕事もしたりしているんだ」
無事に彼のアトリエ(醸造所)で、試飲用の瓶詰めされたワインを手に入れ、このドライブのスタート地点「メゾン・ロマネ」へ向けて帰路につく。ニュイ・サン・ジョルジュ村とヴォーヌ・ロマネ村はお隣なので、目と鼻の先。信号もない田舎道を抜けていく。
「日本にもあなたのワインは輸入されているの?」
「日本にはまだ僅かしか輸出できていないけど、日本の方々にもきっと、気に入ってもらえると思うから、インターネットで購入先を検索して欲しい。その代わり、パリにはたくさん卸しているよ。いろんなレストランが売って欲しいって言ってくれるんだ。本当に嬉しいことだよね!」
彼の自宅兼ワインカーブとなっている「メゾン・ロマネ」。まずはご自宅を拝見。男性の一人暮らしにしては、素晴らしく綺麗に整理整頓されている。暖炉の上には、数種類のハムが、出番はまだかとばかりに吊るされている。
「これは昨年のハムだよ。パンチェッタ、コパ、豚の頬、フィガテル(肝臓が入ったコルシカのハム)。まだ作り始めたばかりだけど、本格的にハム作りは続けていくよ。友達からも注文が来ているんだ」
そしてリーデルのワイングラスを持って来て、こう言った。
「自慢のカーブに案内しよう。ヴォーヌ・ロマネ村で最も古いカーブだよ」
自然と共に作品をつくるということ
一旦、外に出て、半地下の扉からカーブに降りて行く。積み上げられた石の壁、現代建築の角ばった造りではなく、いびつなゆがみのある15平米ほどの部屋が二つあり、手前が赤ワイン、奥が白ワインだそうだ。スポットライトの光が、歴史あるカーブを更に重厚に神秘的に演出していた。ワイン樽の横に。一際存在感を発している壷が立てられている。
「これはジャーという壷で、ワイン樽の丁度半分の大きさで、土で出来ているんだ。この中にはジュブレイ・シャンベルタン2011が入っている。木の香り、風味は全くつかない。木よりもワインが呼吸しやすいんだ」
Gevrey Chambertin Justice 2011
「これは来週ボトルに詰めるつもりなんだ。少ししか作っていないから、手で詰めているんだよ。機械の振動はワインを疲弊させてしまう。チューブの長さは、たった1.5メートル。長いとワインの鮮度を損なう恐れがある。軽快で繊細なワインをイメージしているから、ワインに無理させることはしたくないんだ。ブドウの圧搾にもこだわっていて、人工的な圧力は絶対にかけない、引力だけでブドウ汁を摘出するんだ」
熱弁を振るうだけあり、ブルゴーニュでも比較的強いイメージのジュブレイ・シャンベルタンもエレガントで爽快な味わいである。華やかなアロマがふわりとワイン全体を包み込んでいた。
Macon Château de Berze 2011
「これはガメイ種なのだけど、2011年の赤は、非常に骨格がしっかりとした良質なワインが出来たよ。2010年は酸がしっかりとした、ブルゴーニュらしいワインだったね」
Chablis Grand-Cru Les Clos 2010
「これも非常に美しい仕上がりだよ。品の良い酸の後に、凛としたミネラリティを感じるでしょ。僕は畑を持っていない、ネゴシアンだ。絶対に発酵前のブドウジュースや瓶詰めされたワインは買わず、必ずブドウの実を購入するんだ。けれど、耕作に携わっているおかげで、良質のブドウはしっかりと目利きが出来る。このシャブリだって素晴らしいでしょ」
「何種類のワインを醸造しているの?」
「今はマコンのガメイ種、ブーズロンのアリゴテ種、ピノ・ノワール、シャルドネの四種類、十二箇所から購入している。十二種類のワインがあるという事だね。以前は愛馬と耕作した畑から、その対価としてブドウを手に入れていたのだけど、今は造りたいワインの種類も増えてきて、全てを請け負うことは出来なくなってしまった。本当はその方が聞こえは良いのだろうけど、ブルゴーニュは広いからね。もちろん、コルトン・ペリエール、クロ・ド・タール、ヴォーヌ・ロマネの畑などは、以前と変わらず僕と愛馬達が働いているよ」
「有名なドメーヌのブドウも使っていると聞いたけど」
「そうだね、同じブドウを使った有名ワインも存在する。でも、醸造方法が違うと、どちらが上とかいう事ではなく、全く違うニュアンスのワインになるんだよ」
彼はそれ以上、誰の畑を耕作しているのを語ろうとはしなかった。ビッグネームの威を借る売名行為と受け取られたくない気持ちと、畑の有名無名を問わず、良質なワインを作り出せるという自負心からかもしれない。
「昔ながらの造り方や月の動きを大切にしていると聞いたけど」
「とてもクラシックな造り方を心掛けているよ。醸造器具でさえ昔のものを使ったりしているね。コルクには方向性があるから、人の手で入れているんだ。空気が入らないように、ワインをなみなみと注ぎ、溢れさせながらコルクを入れる。フィルター掛けもしないね。これが昔ながらの造り方だよ。畑の中で月の動きを取り入れるのはビオデナミーだけど、僕は畑を持っていないから、ビオの造り手とは名乗れないんだ。でも実は醸造にも、月や星の動きは非常に重要なんだよ。たとえば、月が陰っていく時期に滓引きをすると、ワインは輝きをなくし濁ってしまうんだ。自然って本当に面白いよね」
「もし生産量が増えても、手作業は続けていくの?」
「たくさんのワインを造ろうとは、全く考えていない。僕は常に自分のワインに責任を持っている。量を増やすことで自分のワインが出来なくなってしまっては意味がない。ワインは作品だ。アーティストと同じだよ。大量の作品を矢継ぎ早に発表しろと言われても出来ないでしょ?そしてより良いワインを造るために、何万通りもある手法を探求していくんだ」
「ではその最良の方法として見つけたものは、どんなこと?」
「僕にとって最良というだけで、他の人には違うかも知れないよ。そこは注意してね。まず、ピノ・ノワールにおいては、ブドウを収穫する際、茎を取り除かず丸ごと使うこと。それによって、とても女性的で軽快なワインが出来上がるんだ。ワインを元気に生き続けさせるために、フィルター掛けもしない。手造りは、少ししか生産できないけれど、良い物を造るための方法の一つだね。そして、自然の中で瞑想すること。僕はよく10分、15分くらい馬や豚と一緒に瞑想をする。自然や動物とコミュニケーションを取るんだ。そこで学べることは、ワイン造りだけでなく、生きていく上でも重要な事柄なんだ」
「自然や農業の世界で、クリエイトしていきたのかな?」
「そうだね。僕は昔から作品を作るのが好きだった。ワインも、そのエチケットも、豚も、全て作品だよ。良質で、健康的で、美しくなければならない。この三つの要素の調和が重要なんだ。これからも、たくさんの事を学び、取り入れ、新しい作品を作り、それらを素晴らしいものへ昇華させていきたい」
Le centre du monde du vin
「若い人たちがワインを造りたいと思ったら、ラングドックやもっと地価の安い場所へ行く事が多いけれど、どうしてブルゴーニュへ?」
「ブルゴーニュ、ワインでは世界の中心でしょ! そして、メゾン・ロマネ、ここは、世界の中心の中の、さらに中心。そう思わない?これこそ僕の夢だったんだよ。ブルゴーニュという、素晴らしく美しい土地で、ワインを造る。馬を育てる。ハムを作る。ここは世界最高の場所なんだよ!」
割とひょうひょうと話をするオロンスが、この日一番嬉しそうに、そして力強く語った、「Le centre du monde du vin」。タイトルが決まった瞬間だった。
「最後に、これからワインに興味を持ち始める方にメッセージを」
「ワインを試飲して、レモンやスミレの香りがするとか、赤い果実の味がするとか、そういう分析用語は忘れて欲しい。ワイン分析の知識なんて、ワインを楽しむためには全く必要ないよ。でも、ワインを知ろうという思いは忘れないで欲しい。例えばだけれど、ワインを人に喩えるような事は面白いかもね。華やかな雰囲気の人なのに、少し寂しそうだとか、スレンダーで高飛車な人だとか、そういう風に感覚的にワインを楽しむ方が、よっぽど重要なことだと思うよ」
「いろいろな事を話したけれど、良いワインを造りたいと言う向上心が自分にとっては一番重要な事。そして、自然の雄大さ、美しさには、人間が創造したものは絶対に敵わない。さっきの話の続きだけれど、ブルゴーニュの土地はもちろん、それを取り巻く全てのもの、環境も歴史も人々も世界最高だ。おそらくそれが全てだと思う」
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