ボジョレ・ヌーヴォー
ボジョレと聞けば、まず思い浮かべるのは、Beaujolais Nouveau(ボジョレ・ヌーヴォー)であろう。ボジョレ・ヌーヴォーの『Nouveau(ヌーヴォー)』とは、フランス語で「新しい」という意味を持ち、ブルゴーニュ地方最南端『Beaujolais(ボジョレ)』で生まれたボジョレワインの初物を指す。
この時季になると、ボジョレから遠く離れた日本であっても、各種メディアはもちろん、酒屋やスーパー、コンビニに至るまで、あらゆるところでこぞって風物詩のワインとして『ボジョレ・ヌーヴォー』を一斉に取り上げる。それは世界各国がこの「ボジョレ・ヌーヴォー」の解禁日をそれぞれの国の、11月の第三木曜日と制定しているからなのである。日本は時差の関係でフランス本国よりも、8時間早く口にできる。
日本ではその名前を「ボジョレ・ヌーヴォー」「ボージョレ・ヌーヴォー」「ボジョレー・ヌーボー」などと様々に表記され、統一されてはいない。正直、どれも同じワインのことを指しているので、どれが正解と日本語での表記を論じる必要はない。それに発音記号に準じた表記であっても、フランス人の発音を聞くと、微妙にどこか違うように思えるのだから、あまり深く考えなくても良いと思う。
しかし、このカタカナ表記や発音に関しての違いは、どうということはないが、ボジョレ・ヌーヴォーには異なる2つの本質が存在するとは思って欲しい。ひとつは「瞬を楽しむボジョレ・ヌーヴォー」、もうひとつは「旬を味わうボジョレ・ヌーヴォー」である。
ジャン・ポール・ブリュン
ドメーヌ・テール・ドレ
何を隠そう、彼を紹介してくれたのは、今回の特集のもう1人の主役、ボジョレで最高峰のワインを造るティボー・リジェ・ベレールである。インタビュー中に電話でブリュンに取材の打診をしてくれた。彼曰く「ジャン・ポールの造るボジョレは素晴らしく、卓越したボジョレの生産者の一人」とお墨付きの生産者である。更に付け加えるように「彼はボジョレ・ヌーヴォーも造っているから、面白い話を聞けるはずだよ」と今号の特集の意図まで汲んでくれた。
ブルゴーニュ南端、ボジョレ地区の最高級のクリュのひとつ、ムーラン・ナ・ヴァンから更に50キロ南下した最南端の極みCharnay(シャルネ)に彼の本拠地はある。
ギロリと睨みつけるような印象的な目つきの、少し強面のブリュン氏が、大きな身体を揺らしながらゆったりと威厳ある風情で出迎えてくれた。
その第一印象は、取材をはじめると見事に払拭された。彼はその風貌からは誰も想像が出来ないであろうほどに、丁寧で温かみのある口調で、ゆっくりと優しげに言葉を発していく。カメラを向けると「もう少し笑わなくてはいけませんね。皆さんに怒っていると思われたくないですから」と何とも茶目っ気たっぷりに、にかっと可愛らしい表情をしてみせてくれた。
彼の祖先は代々農場を持ち、牛や羊たちの世話をしながらブドウや農作物の栽培をしていたようだ。1979年、3代続く農場を仕舞い、ワイン醸造をスタートさせた。
ドメーヌ・テール・ドレ(黄金色の土)。彼が興したこのドメーヌの名前は、ボジョレの南側の土壌特有のピエール・ドレという黄金色の石で形成されたている土地から名付けたのだそうだ。
1%のボジョレ・ヌーヴォー
ブルゴーニュの人をブルギニヨン、パリならパリジャン、パリジェンヌと呼ぶように、ボジョレで生まれ育った人のことをボジョルワと呼ぶ。彼のような生粋のボジョルワが今、ボジョレ・ヌーヴォーに対してどう考えているかは非常に興味深い。
「ボジョレはヌーヴォーであっても素晴らしいワインは出来得ると考えています。どうして、ボジョレ・ヌーヴォーの質が落ちてしまったのか、それは大量に販売することを目的とするあまり、工業的な方法に走り過ぎてしまったからなのです。ワインの生産者は『農』を何よりも意識して、自然に従い、自然を敬い、尊重しなければならないと思っています」
確かにボジョレ・ヌーヴォーは圧倒的な宣伝力により、世界中の人々に楽しまれている。町のお祭りに留まらず世界的イベントにまでなっている。
「私はボジョレ・ヌーヴォーであっても、野生酵母(*1)で醗酵(はっこう)を促し、マセラシオン・カルボニック製法はおこなっていません。しかし、そのために、フルーティーな味わいとバナナの香りが充分ではないという理由で、ある時は2年間、収穫までも禁じられてしまいました。ボジョレには、味わいやテクニックに関してのお目付け役やアドバイザーがいるのです。彼らとネゴシアンがバナナの香りを残せと言い、従わなかったらワイン造りそのものも禁じられてしまったのです」
冒頭で彼が『自然に従う』と語尾に力を込めた意味が融解するように理解できた。どうやら、ボジョレ・ヌーヴォーのほとんどが、自然を活かしたものではなく、人為的なものだということのようだ。
「バナナの香りはマセラシオン・カルボニックの特徴と言われていますが、その現象は1000分の1ほどの確率でしかなく、その香りを醸し出すのはブドウ品種でもなく、培養された特別な選別酵母によるものなのです(*2)。私は野生酵母でしか醸造していなかったので、彼らの求める香りと味わいにはならなかったのです」
しかし、疑問が残る。それであれば、醗酵(はっこう)の期間を大幅に短縮できるマセラシオン・カルボニック製法で醸造しない理由とは何なのだろうか。
「マセラシオン・カルボニック製法は、フレッシュでフルーティーな味わいを際立たせるために有効なものですが、テロワールやミレジムを表現したワインの味わいや奥深さ、余韻は残せないのです。テロワールの情報がワインに伝わり、表れるためには、どうしても時間が必要なのです。私は通常4週間ほどを醗酵(はっこう)に費やしますが、それでは解禁日には間に合わなくなってしまうので、2週間という限られた時間ですが、丁寧に醗酵(はっこう)をおこなっています」
野生酵母をつかい、醗酵(はっこう)に時間を掛ける。その2つのことを生産者が心掛けることで、ボジョレ・ヌーヴォーの質は段違いにあがると思えるのだが、どうもそんな簡単な話ではないようだ。
「私のように少量しかボジョレ・ヌーヴォーを生産しないのであればそれも可能だけれど、大量販売を目的とする現状では、このようにはいかないね。驚かれるかもしれませんが、50年代、60年代は、ボジョレの畑とブルゴーニュの畑は同じレベルとして評価されていて、畑の値段も変わらなかったんです。その後、ボジョレの知名度を上げるために、ボジョレ・ヌーヴォーをつくり、一時期の経済的成功は手にしました。しかし、私たちボジョレの生産者は愚かだったのでしょう。それを活かし、昇華させることができなかった。結果として、価格戦争になり、より安く、より早く、より大量にと、本来のワイン造りとは程遠いものになってしまいました。今では、私のような造り方をする生産者は、ボジョレ全体の1%にも満たないかもしれませんね」
今年もまた、11月の第三木曜日には、世界中でボジョレ・ヌーヴォーが振る舞われる。ワインは喉を潤し、人々は饒舌に語らい、老若男女問わず「乾杯!」とグラスを打ち鳴らし、盛大にこの行事を楽しむのも事実である。
「その通りです。ワインの本質は楽しむためのものでもありますから、ボジョレ・ヌーヴォーの賑わい自体は良いことだと思っています。しかし、多くのボジョレ・ヌーヴォーはマセラシオン・カルボニックや培養された酵母での醸造によって、その年の味わいを隠してしまい、堪能するには至らない。私のボジョレ・ヌーヴォーには不変的なテロワールの味わいと年毎に変わる旬の味わいが両方とも表現されていると自負しているのです」
現在のボジョレ・ヌーヴォーの流行は、バナナの香りからカシスの香りになっているようだ。テルモヴィニフィカションという製法でタンクの温度を70度から80度に高め、一気に冷やす。それによりブドウの細胞壁が急速に壊れ、カシスのアロマや華やかな色味が摘出される。
「私は20度~30度内で醗酵(はっこう)をおこなっているため、現在のモードであるカシスの香りにはならず、また問題になってしまう可能性もあるのですが、ボジョレ・ヌーヴォーは以前より評価が落ちていますから、規則も緩くなっています。私たち生産者の本分は、誰かが求める味わいを演出するのではなく、自然がつくりあげる味わいをワインに摘出し表すことです」
ヒトには旬の食材に出会うと、その年の味わいを愛でたり、評価したりと旬を存分に味わいきりたいという欲望がある。その味わいは人工的なものよりも、より自然的なものが好まれるであろう。前年度との違いを堪能できるような記憶に刻まれる味わいであるならば、申し分ない。ブリュンのワインは、ワイワイと人々がはしゃぐためのそれよりも、その味わいそれ自身のみで、心を躍らせることができる。
2016年11月17日、木曜日。ボジョレ・ヌーヴォーを片手にしたなら、まずは存分にその瞬間と雰囲気を楽しみ、喉を潤そう。
そして、もしそれが、1パーセントの幸運な「旬を味わえるワイン」だったとしたのなら、是非その味を意識してみて欲しい。それは、ずっと奥の何か、心?を潤してくれることだろう。
※1 : 野生酵母 畑に生息する動植物による酵母。または日本酒で大切とされる蔵付き酵母も含まれる。畑の特性や、醸造所固有のオリジナリティを生むと推測されている。
※2 : 今号の編集も終盤に差し掛かった2016年10月23日にNHKの「サイエンスZERO」にて、酵母によって香りが異なることが、近年、化学で証明されたという内容が放映されましたので、インタビュー内容を証明するものとして記載します。
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