• 33.VIN

DOMAINE FRANÇOIS LAMARCHE ドメーヌ・フランソワ・ラマルシュ

女性たちが目指すあらたな頂




歴史を1797年にまでに遡ることができる家族経営の老舗、ドメーヌ、フランソワ・ラマルシュ。今日ではヴォーヌ・ロマネ村を中心に11.23ヘクタールの畑を所有するが、なかでも常に注目されてきたのが、モノポールであるラ・グランド・リュ。


モノポールとは、単独の生産者により所有される単一の地所にある畑のこと(いわゆる単一畑)。ひとつの畑が複数の生産者によって分割されるブルゴーニュにおいて、モノポールは稀少で、それがグラン・クリュとなればなおさらだ。


しかもラ・グランド・リュが真価を発揮し始めたのは近年のことであり、もっとも未知数の高いモノポールとも言える。それを可能にしているのが栽培・醸造責任者のニコルと、マーケティング担当の従姉妹ナタリー。ともに新時代の女性たちである。



ラ・グランド・リュとは?

かのロマネ・コンティを目指してヴォーヌ・ロマネの丘陵を上ると、丘陵を上下に走る道を挟んで右はロマネ・コンティ、左はラ・ターシュというこの上ないシチュエーションにあるのが1.65ヘクタールのラ・グランド・リュ。

しかし1936年のAOC法制定時には、グラン・クリュではなく、なぜかプルミエ・クリュに格付けされる。ようやくグラン・クリュに昇格したのは1992年のことだ。

ちなみにAOC法制定後にプルミエ・クリュからグラン・クリュに昇格したのは、このラ・グランド・リュと、クロ・デ・ランブレイ(モレ・サン・ドニ)のふたつのみ。昇格がいかに難しいかがうかがえる。



NICOLE LAMARCHE ニコール・ラマルシュロックな風貌の女性が造る、至高のエレガンス

ワイン造りというアート

あまりにも高名なのに、あまりにも小さいヴォーヌ・ロマネ村にある細い一本の通り、リュー・デ・コミューヌ。私はこの通りを勝手に「女性生産者通り」と名付けている。

なぜならブルゴーニュ全体で見ると女性生産者はまだ少数派だが、この通りにはアンヌ・グロ、ジョルジュ・ミュニュレ・ジブール、フランソワ・ラマルシュという、女性が指揮を執る素晴らしいドメーヌが3軒も居を構えているからだ。その中でももっとも若手なのが、フランソワ・ラマルシュを率いるニコル・ラマルシュである。


ニコルの風貌は飛び切りロックで、とにかくカッコいい。そのニコルはドメーヌを引き継いだ理由として、「家族経営のドメーヌを存続させたいと思いましたし、私たちが持っている畑はチャンスとしか言えない貴重なもの。他人に任せるのは残念です」という。


そりゃそうだ。ドメーヌが持っている畑はモノポールのラ・グランド・リュを筆頭に、ブルゴーニュの生産者なら一度は手がけてみたいと思うものばかり。畑の時価が高騰する中、喉から手が出るほど欲しくても、いまさら手に入らないラインナップだ。

そして続けた。「私はミュージシャンでもあるの。音楽とワイン。アートという意味でもとても心惹かれました」。音楽のジャンルは聞き忘れたがピアニストだという。ニコルがピアノをひく姿を想像すると、なぜだかドキドキする。しかしアーティスト(表現者)としてのワイン造りは、けっして平坦なものではなかった。


覆す力

ドメーヌのフラッグシップであるラ・グランド・リュは、ロマネ・コンティとラ・ターシュに挟まれた最高の立地ながら、AOC法制定時にはプルミエ・クリュだった。この畑をグラン・クリュに昇格させようとINAOに働きかけたのがニコルの父、現在のドメーヌ名にもなっているフランソワ。


1992年、ついにグラン・クリュに昇格するも、評論家や愛好家の意見は厳しく、「あの立地にありながら精彩に欠ける」「垢抜けない」という評価に悩まされた。たしかに1990年代のラ・グランド・リュはどこか粗野でぎくしゃくとしていた。最高の立地にあるというのは、裏返せばとてつもなく大きなプレッシャーでもあるのだ。当時をニコルは振り返る。

「あの頃、父は体調が悪く、その評価を覆すには力を出し切れなかった。私もまだ若すぎてワイン造りの経験がなく父の助けにはならなかった」。


ディジョン大学で醸造学を学び、コート・ド・ボーヌやコート・シャロネーズで研修を積んだあと、ニコルがドメーヌに戻ったのは2003年。2006年は父と一緒に栽培と醸造を行い、2007年からはニコルにすべてが託された。

世代交代がすぐにワインの味わいに現れるものではないが、このドメーヌの場合は明らかに2006年頃から、以前にはなかったピュアさが生まれ始めた。ラ・グランド・リュだけでなく全体的に少しくぐもったトーンのあった一連のワインに、キラリとした輝きが見えたのだ。


また2007年はけっして恵まれた天候ではなかったが、「美しいブドウが美しいワインを造る」というニコルの哲学に揺るぎはなく、徹底的に選果した結果、収穫量は激減したものの、ワインには革命的なくらいに変化の兆しが現れた。


「進化するためには現状に満足してはダメなの。リスクをとる勇気と英断が必要よ」というニコルは、ビオロジック栽培を視野に入れ、除草剤を廃止し、土壌の改良に取り組んだ。一年一年、少しずつ土壌は活力を取り戻し、生態系やブドウの品質にも変化が見られ始めた。

やがて2010年には所有する畑のすべてでビオロジックを実践するに至った。


いっぽうでニコルがドメーヌを託されてから2年続きで難しい天候推移は続いた。やっと穏やかな四季が訪れたのは2009年。少しは気が楽になったのでは?と問うと、「その逆です」とキッパリ。「09年は早くから多くのジャーナリストたちが最良年だと騒ぎ立てました。こんなヴィンテージにおいて凡庸なワインに仕上げたら、やはりフランソワ・ラマルシュはトップ・ドメーヌではないという印象を持たれてしまう。半端ではないプレッシャーでした」。


そんな前評判の高かった09年には、多くの生産者が果実味たっぷりの素直に美味しいワインを造ったが、どこか重く締まりがなかった。

しかし一流と言われる生産者たちは酸を上手くコントロールし、メリハリをつけた。ニコルもその一人だ。ヴィンテージに豊かさを味方につけ、かつミネラリーで透明感のある美しさを備え、畑の美点はスケールの大きさとして表現した。生産者・テロワール・ヴィンテージの三位一体には、今までフランソワ・ラマルシュへ対して厳しい評価を下してきた評論家たちも、意見を変えざるにはいかなかった。


貫く意思が導く美しさ

2010年以降、またもやブルゴーニュでは難しい天候が今日まで続き、とくに13年はビオロジックを放棄する生産者も現れたが、ニコルはいう。

「13年においてもビオロジックを貫きました。ブドウ畑を育む自然を尊敬していますし、この環境を次世代に引き継ぎたいという気持ちは変わらないから。それに難しいヴィンテージを乗り越えてこそ、生産者は短期間で成長するのよ」。もっともビオ認証には興味はない。

「すべてが正義とは思えない認証に縛られるよりも、私が正しいと確信できることにチャレンジしていきたい」。


ヴィジットの最後には、瓶詰め直前にタンクの中で落ち着かせた12年を試飲した。最初は地域名アペラシオンであるブルゴーニュ・ルージュだが、すでに優雅だ。

試飲が村名、プルミエ・クリュ、グラン・クリュへと進むごとに、躍動感いっぱいに多彩な表現を繰り広げる。最後は世界でただ一人、ニコルにしか手がけることが許されていないラ・グランド・リュ。比類なき立体感、至高のエレガンスは、あの美しい立地にふさわしい格がある。


昔、ある生産者が言っていた。「テロワールが譜面なら、生産者は演奏家だ」。アーティストでもある若いニコルが、今後どのようなテロワールをどのように演奏していくのか。ひとつのヴィンテージは年に一度のコンサートなのかもしれない。


TEXT : Akiyo HORI

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