「11月の第3木曜日」と聞いてピンと来るなら、それはフランスの旬な新酒に興味がある人。そう、ボージョレ・ヌーヴォーの到来だ。
初秋に収穫されたできたてホヤホヤのフランスワインを、日本で真っ先に飲める。かつてのような大ブームではないものの、今でもテレビなどで紹介され、もっとも身近なフランスの新酒として、日本では定着している。
今年は11月17日の木曜日だ。
ヌーヴォーって、いつからあるの?
フランスでは生まれたてのワインを楽しむ習慣が各地にあり(プリムールと呼ばれる)、ボージョレでも昔から若いワインを楽しんでいた。しかし最終的に解禁日を11月の第3木曜日と決めたのは、1985年のこと。初めて解禁日が発表された1951年は、11月13日だった。その後約15年の解禁日は変動的だったが、生産者がこぞって早さを競ったために、熟していないワインが出回り、解禁日を11月15日に定めたのが1967年。しかし15日が週末にあたると流通業務がストップしてしまうため、11月第3木曜日に落ち着いたのである。
フランスには他にも新酒があるのに、なぜボージョレが飛び抜けて人気となったのか。
第一にボージョレは収穫から瓶詰めまでのプロセスを短く造ることができる。そしてやはり「ボージョレの帝王」と呼ばれる醸造家、ジョルジュ・デュブッフ氏の存在は大きい。ボージョレの北、マコンで生まれたジョルジュが会社を設立したのは1964年。自らがこぐ自転車にワインを積み、近隣のレストランに売り込んで廻った話しは、余りにも有名だ。そこには、「地元やリヨンだけで飲まれていたボージョレを、世界のワインへ!」という野望と情熱があった。その考えに共鳴したのが、不滅のスターシェフ、ポール・ボキューズ。ジョルジュの親友でもあり、盟友でもあるボキューズは積極的にジョルジュのワインをとりあげた。いっぽうジョルジュは、新酒に解禁時間があることから、時差を利用してボージョレの解禁日にフランスよりも早く新酒を飲める国があることに着眼する。その筆頭が日本だった。70年代から、ヌーヴォーを日本と米国に輸出して大成功を収め、帝王の名を不動にした。
いきすぎた、ヌーヴォー熱?
日本がバブルに向かって華やいでいた80年代から90年代。空港にはヌーヴォーを待つ人たちが溢れ、セレブなワインパーティが盛り上がった。私自身は90年代半ばをパリで過ごしていた。ある日、デュブッフから封蝋されたヌーヴォーの招待状が届いた。デュブッフのワイナリーと博物館に着くまでのパリからのTGV(高速新幹線)は貸し切りで、協賛するシャンパーニュメゾンや総菜会社からは、シャンパーニュやフォアグラをサービスされ、現地に着く頃にはほろ酔い気分。ワイナリーや博物館でもつねに試飲、この夜のために食事を用意したチーム・ポール・ボキューズを囲んで記念撮影。なんと数百人もが招待されていたという。ショーを観ながら飲み食べ、午前零時にワイナリーを旅立つヌーヴォーを見送り、少し就寝。朝食のサロンでは、「また、こんなに!」と呆れるほどのボージョレのボトルが並び、飲み放題が過ぎて前日に身につけていた服やパンプスもキツくなった。
パリに戻るとカフェやワインショップ、スーパーにも「ボージョレ・ヌーヴォーがやって来た」という楽しげなポスターが貼ってある。でも急激なブームは、批判も多い。「ヌーヴォー代のほとんどが輸送費なのでは?」「しょせんマセラシオン・カルボニック(炭酸ガス浸漬法)で作った、フルーティな軽いワインなんでしょ」「今年の出来が分かると言っても、ブルゴーニュの心臓部にあたるコート・ドールからは、結構遠いし、ブドウ品種も違う」。ヌーヴォー熱から冷めた人たちは、「価格には合わない商業的なワイン」と、少しずつ離れていった。
しかし、それは違う。季節や旬を感じる先物が高くなるのはヌーヴォーだけではない。「今しか飲めない旬を真っ先に楽しんで!」という生産者の思いが詰まっているのだ。またフルーティなワインは飲みやすく、新たなワイン消費を促す力もある。そしてワインが農産物である限り、ヌーヴォーだけでその年のフランス全土の出来を推し量るのは無理としても、年によって異なる太陽の暖かみなどは感じられ、遠い地で光や風を浴びたブドウの滋味は、伝わってくるものだ。
もう、きらびやかなパーティは、ボージョレ・ヌーヴォーには必要ではないのかもしれない。それでもフランスワインが好きな飲み手が、「今年は美味しくできたかな?」とテーブルにヌーヴォーを一本並べると、そこには実りの秋の風情が流れる。飲む方も、飲まれる方も、肩肘をはらずに普段着で楽しめる季節限定のワイン。それが今日のボージョレ・ヌーヴォーだ。
ヌーヴォーを知るなら、ガメイを知ろう!
ボージョレの原料ブドウとなるのが、ガメイ種。フランスならロワール地方や、ラングドック・ルション地方にも植えられるが、なんといってもボージョレのためのブドウである。歴史的なワイン造りを行うフランスでは、膨大な時間をかけて「適地適種」が研究されてきた。ガメイがコート・ドールで大幅に植えられていた時期もあったが、最終的にガメイがその魅力を最大限に発揮するのは、ブルゴーニュの最南端、花崗岩(かこうがん)地質だったのだ。
ワイン用ブドウとしては大粒なため、ワインの色調は明るい赤で、タンニンも少ない(タンニンや色合いを含む果皮と、果汁の接触面が少ない)。豊かな酸とフルーティで甘やかな香味を持つ。多くのボージョレは、ヌーヴォーと同じくチャーミングな飲みやすさを前面に打ち出すため、マセラシオン・カルボニックが行われ、長期熟成は向かないといわれている。
しかしここでも忘れてはいけなのが、「誰が造るか」ということ。ガメイは化ける品種でもある。
大別すると、まずボージョレはいわゆる自然派ワイン(ヴァン・ナチュレル)のパイオニアのひとつであること。自然な造りを実践した故マルセル・ラピエール(現在は息子のマチューが継承)が、1980年代に風穴を開けた。マルセルに追随し、「ボージョレと言えばヌーヴォー」という市場イメージを覆していった生産者には、ジャン・フォワイヤール、ギ・ブレトン、ジャン・ポール・テヴネらがおり、彼らはアメリカのワイン情報誌で「キング・オブ・フォー(四人組)」として紹介されている。
対して「まるでコート・ドールのようなワイン造り」、すなわちマセラシオン・カルボニックを行わず、除梗して長い醸しを行う方法だ。代表的なのは、大手メゾン・ルイ・ジャドが手がける「シャトー・デ・ジャック ムーラン・ナ・ヴァン」。このワインに、「まぁ、なんて飲みやすいガメイ!」という言葉は似合わない。下手なコート・ドールよりも、よほど格がある。
前者にしても後者にしても、早飲みだけが取り柄の手軽なワインではない。ワイン通などの間では、これらのワインを熟成させて、コート・ドールのグラン・ヴァンとブラインド・テイスティング(銘柄を明かさずに飲む)することもある。まず、誰もがボージョレとは思わない。ガメイとボージョレの底力にひれ伏す瞬間だ。だからワインとは面白い。
ボージョレを代表する存在、それがクリュ・ボージョレ
ボージョレと一言で言っても広い(2万5000ヘクタール)。ボージョレの長い歴史の中で、とくに優れた区画として選ばれているのが、ボージョレ北部に位置する10のクリュ・ボージョレだ(6500ヘクタール、クリュは区画の意)。
先に「ガメイは花崗岩(かこうがん)地質と相性が良い」としたが、なかでもこの10のクリュ・ボージョレは、が豊かで、ブドウが好む丘陵地も多い。10ものクリュを覚えるのはたいへんだが、ぜひ抑えておきたいクリュ・ボージョレは?と問われれば、それはムーラン・ナ・ヴァンとモルゴンだろう。
「クリュの王」と称されるムーラン・ナ・ヴァンの真価は、えも言われぬフローラルさと、シルキーなタンニン。王と称されつつも女性的で、秀でた熟成能力を持つ。優れた造り手によるムーラン・ナ・ヴァンはじっくりと寝かせてから、そのしなやかさを楽しみたい。
いっぽう、もっとも男性的なクリュ・ボージョレがモルゴンだ。素晴らしいモルゴンなら、よく熟した赤や黒のフルーツの香りが豊かで、味わいもしっかりとしたフルボディになる。やはり綺麗に熟成させてから飲むと、醍醐味を堪能できる。
今日のボージョレが残念なのは、ヌーヴォーで知名度がぐっと上がったことは良いものの、「早飲みの並ワイン」というイメージに引きずられていること。ブルゴーニュに比肩するプルミエ・クリュのような格付けを設けようという動きが生まれているが、なかなか前には進まない。大切に手で摘まれたブドウや、醸造されたワインも値崩れを起こし(ボージョレとシャンパーニュのみが、フランスで手摘み収穫を義務づけられた産地である)、畑の地価も下落している。
だがこの状況だからこそ、コート・ドールの大手メゾンや情熱的なドメーヌが、ボージョレの畑を購入し、ヌーヴォーだけが魅力ではないボージョレを造ろうという試みが近年は著しい。
フランスのどのワイン産地も、普段飲みのワインと、特別な日のための高品質なワインを造るポテンシャルを持っている。今までとは違う感動を与えてくれるワインが、ボージョレには数知れず眠っている。そのひとつの目安として、クリュ・ボージョレを手に取ってみると、嬉しい想定外の出会いがあるかもしれない。
Text : Akiyo HORI
Σχόλια