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  • 執筆者の写真33.VIN

CHÂTEAU MOUTON ROTHSCHILD 我、歩む道、それは歴史なり。




1級への昇格


ムートンの歴史については、既に広く語られているが、とりわけ1973年の偉業は、どのシャトーもムートンの成功を感じざるを得なかったであろう。

1855年当時、オーナーが変わったばかりで安定しておらず、シャトーも建造されていなかったムートンは、2級に格付けされた。最重要項目はワインや畑の質だが、こういった細かな点も格付けの要素に加えられていたようだ。2級シャトーの一番上という、複雑な位置付けに甘んじながら、決して諦めていないと感じさせる社訓がある。


Premier ne puis, Second ne daigne, Mouton suis.

第1級たり得ず、第2級を肯(がえ)んぜず、ムートンはムートンなり


1953年に農林水産省に1級昇格の嘆願書を送りはじめた。1973年、ジャック・シラク氏が農林水産大臣に就き、格付けの見直しに着手したが、最終的に変更があったのは、ムートン・ロートシルトの1級昇格のみであった。

悠に20年もの年月を費やし、格付けから118年経た末の大勝利であった。それに伴い、彼らの社訓も書き換えられた。


Premier je suis, Second je fus, Mouton ne change.

今第1級なり、かつて第2級なりき、されどムートンは変わらず



芸術


オーナーの故バロン・フィリップ・ロスチャイルドは、多くの美術品を貯蔵しており、80年代当時と現在のクレール・ミロン、ダルマイヤック、そしてムートン2000年のエチケットデザインは、彼の美術品が基となっている。

構想から20年を掛け、カーブの隣にそれらを展示する美術館を建設した。2013年には、今までのムートンのエチケット専用の美術館までもが併設された。


ムートンのエチケットは1945年から毎年、画家やアーティスト達に原画を依頼しており、コレクター心を大いに沸かせる仕様となっている。ダリ、ミロ、シャガール、ウォーホールなど世界的に有名なアーティストが名を連ね、ムートンのために有り余る芸術的才能を奮っている。

実は、ピカソだけイエスともノーとも言わず、既に描かれた作品を使用することになったようだ。奇しくもその作品が使われた年は、ムートンが一級に昇格した記念すべき1973年で、ピカソが亡くなった年でもあった。


当初、原画の縮尺を変え、エチケットにしているものと思っていたが、そのほとんどは実寸で描かれ、何パターンも準備された作品もあった。現在は、バロン・フィリップ氏の娘、マダム・コリンが一人で作品を決定している。二年くらい前に画家を決め、彼女自らが打診をする。このエチケット内容は、ボトルが市場に出るまで、プレスさえも知らされない最高機密情報であり、デザイナーや印刷業者も秘密は絶対に守らねばならないようだ。


美術品や芸術作品と言うのは、私達の感覚に直接、言葉では言い表せない何かをうったえかける力を持っている。神が与えた創造性は、人の力を借りて、作品となる。ワインもまた、テロワールという天の恵みから生まれた芸術なのであろう。





特異性


ムートン・ロートシルトは味わい以上の特異性を秘めている。それは、物語であったり、芸術性であったり、万丈なドマラティックさであったりだ。

2級に甘んじ、後に1級に昇格する。社訓も1級に昇格することで、更なる脚光を浴びる。更に、1級に昇格した記念の年に、唯一ムートンの申し出を明確に受けなかったピカソの作品がエチケットとなり、彼の没年と重なる。彼らの歩む道に間違いはなく、全てが歴史を彩る要素に成り得てしまうのだ。

そして、それらを知り、感じることで、彼らのワインや味わいが、私達の脳裏に浮かんでくるのである。


中世の地方の言葉でムートンとは「小さな丘」を意味していた。その音が現在の羊(ムートン)と重なっていたため、羊のマークが使われるようになった。



 

Histoire de Château Mouton Rothschild


バロン(伯爵)・フィリップ・ロスチャイルドがシャトーの経営を任されたのは、1920年代初め、彼が若干20歳の時であった。そもそも、ロスチャイルド家の所有になったのは、その70年前の1853年、バロン・ナサニエル・ド・ロスチャイルドが、イギリス系ロスチャイルド家から、当時ブラーヌ・ムートンと呼ばれていた葡萄畑を購入して以来である。


名前はすぐに現在のものに変更され、1870年にバロン・ナサニエルの息子ジェームズが相続している。フィリップの経歴を見ると、彼がいかに時代の遥か先を見ていたかがよくわかる。1924年、彼はボルドーで初めてシャトー元詰めを開始し、まもなくそれはボルドー全域で義務化されている。


1926年には、長さ100mにも達する、当時としては前代未聞の樽貯蔵庫、グラン・シェを完成させた。また、彼は販売戦略の立案においても独創的で、1945年にはワイン業界で初めて、世界的に有名な画家に毎年ラベルの絵を依頼している。更に、今でこそ盛んに行われているが、彼はワイン・ツーリズムの先駆者なのである。


1962年、訪問者の観光のため、彼が敷地内にワイン美術館を創設した当時は、そのような発想をするシャトーは皆無に等しかった。


 

Château Mouton Rothschild


シャトー経営に関しては、他のシャトーに比べ、市場の流行に対して敏感なところがあります。例えば、五大シャトーの中では最も早くリーズナブルなワイン(ムートン・カデ)を造り、ムートン・ロートシルトのエスプリを安価で発信しています。


主要国ではムートン・カデのテイスティングも実施しており、その結果を反映させながら、世界中で愛されるワインを造っています。その豊かな果実味、カベルネ・ソービニヨン由来のエキゾチックで筋肉質な男性を連想させるボディーは、隣人のラフィットやラトゥールとは好対照を成しているといえるでしょう。


また、ワインのエチケットには有名アーティストの作品が採用されており、ワインをお酒としてだけでなく、芸術作品として楽しむこともできます。 その豊かな果実味、カベルネ・ソービニヨン由来のエキゾチックで筋肉質な男性を連想させるボディーは、隣人のラフィットやラトゥールとは好対照を成しているといえるでしょう。


TEXT :  Michihito HIGASHIHARA


 

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