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  • 執筆者の写真33.VIN

Pierre Frick ピエール・フリック


- Épisode -


フランス全土を見渡しても、ピエール・フリック当主「ジャン ピエール・フリック」ほどの、異才を放つ造り手は少ない。


既にピエール・フリックのワインは33.VIN Vol.1「表現力いってみよう」にて紹介している。まだ10冊に満たない発刊で同じ造り手が登場するとは考えもしなかったが、アルザス特集が決まった瞬間、確信を持って真っ先に頭に浮かんだのは「ピエール・フリック」であった。



「表現力いってみよう」とは、芸術家たちにワインの表現を委ねるという一風変わったコンテンツで、その第1回が彼のワインであった。芸術家たちの表現は素晴らしく、音楽家たちは味わいからくる旋律をつぶさに捉え、画家は味わいの持つ色彩を見事に表現していた。現に今回、その表現を本人へ伝えた時、彼は誇らしげな表情を浮かべ、素晴らしいと呟いていた。


掲載後も、偶然か、運命か、度々彼のワインと出会う機会に恵まれた。毎回、同席者と共に彼のワインとまだ見ぬ彼について語る。不思議な感覚を与えるワインに、いつしか知的欲求以上の魅力を感じていたのかもしれない。


 


ピエール・フリックはアルザス地方中部、コルマールの南方プファッフェンハイム村に本拠を構えている。広い敷地内に醸造所と家屋が併設されていて、それはさながら、芸術家のアトリエといった感じである。


ビオディナミを取り入れたブドウ栽培を行っているだけあり、まさに自然の中で生活している香りが立ち込めている。大量の薪が積まれ、ソーラーシステムで電気を発電している。整理整頓された試飲ルームには、絵画やオブジェがセンス良く飾られ、彼らの芸術性を容易に窺うことが出来た。


ジャン ピエール・フリックの奥様が温かく出迎えてくれた。そして、地下の醸造所とカーヴへ通されると、スラッと背が高く、細身で無骨な男性が立っていた。会うことを指折り数えた醸造家、ジャン ピエール・フリックその人だった。


挨拶もそこそこに早速試飲が始まった。運命的な出会いなど総じてこんなものかもしれない。いくつかのワインをタンクから注いでくれ、色や味わいの違いを確かめた。無口なのか?彼は、ワインの基本的な説明をするだけで、彼自身の哲学や考え方はまだ聞こえてこない。ただひとつ、このカーヴに漂う空気は、きりりと澄んだ気持ちの良いものであった。


「完成したワインを試飲しよう」と、先ほど奥様が出迎えてくれた試飲ルームに戻った。この時はまだ、これから始まるインタビューが、かつてないほど奇想天外なものになるとは思いもよらなかった。


ピエール・フリックのワインは、その味わいは当然のこと、他とは決定的に違うことがある。ほとんどのワインは木材コルクやプラスティックコルク、スクリューキャップで栓をしているが、彼は王冠を使って瓶に蓋をしているのだ。キャプシュールで覆い隠されているため気が付かないけれど、彼のワインを味わうには、栓抜きが必要なのだ。


「それはカビを防ぐため。私のワインは長く保管してもらいたいと思っているからね。ブショネにも、完全なもの、そこまでではない中間のものなどあるけれど、どちらにしても綺麗に熟成しない。そういうことにうんざりしているんだよ。プラスティックは、長期熟成に適しておらず、私のワインには不向きと判断した。ガラスのキャップは王冠同様良かったね」


自然派のワインは月の満ち欠けで味わいが変わると言われている。以前、満月の時に飲んだビオディナミのワインは、新月に比べ味わいに広がりを感じた。翌日に満月を控えていたため、彼のワインも少なからず影響を受けているに違いない。はやる気持ちを抑え、ワインが注がれるのを待った。


「ピノ・ブランとピノ・ノワールが合わさったワインだけれど、このワインにはラブストーリーが秘められている。元々は二つともクレマンになる予定だったんだ。自然に醗酵が終わると、クレマンにするには残糖量がピノ・ブランは足りず、もう一方は多すぎた。幸運にも樽がひとつ余っていて、そこに二つのワインを入れてみた。お互いの糖分が作用し、Coup de Foudre(一目惚れ)、まるで愛し合うかのように打ち解けたんだ。私はこのワインを『ピノ』と呼んでいる」


まるで自分の恋物語を語るように照れた表情を浮かべていたが、それを悟られまいと言わんばかりに、「さてお次は」と席を立ち、ワインを探しに行った。


「これは22ヶ月醗酵させたリースリング。亜硫酸添加もフィルターもせず、ただひたすらにゆっくりと彼らを見守った。これよりもナチュラルなワインは造れない。もし、このワインを好きになってくれるなら、私は嬉しいが、嫌いでも別に問題はないよ。それは仕方がないことだと思っている」


目が鋭くなり、先ほどの照れた印象はない。真剣な眼差しで話は続く。


「このようなワインは生き物だから、飲む日によって印象が変わる。しかし、飲んでいる人間だって生き物なんだ。自然(ネイチャー)に造られたワインなのだから、自然(ナチュラル)に飲めばいい。生きているのだから、自由にすればいい。生きる、飲む、幸せ。ワインもまた、生きる、飲まれる、幸せ。なんだ」


その後も何本ものワインをテーブルに置いては、栓を開け試飲した。あるワインは6日前に開けたものだったけれど、健全で力強く、紛(まご)うことなきワインの舌触りであった。「ピノ」は彼が語ったように見事なバランスで、とても優雅な印象を受けた。驚いたのは、「クレマン・ド・アルザス」。その味わいに圧倒されてしまった。


「私の父は1970年にビオ農法に着手し、1981年に私がビオディナミに切り替えた。ビオは良いことだが、レシピのようなものだと思う。ビオディナミは今も尚、いくつも解明されていないことがあって複雑怪奇だが、よりグローバルで進化していくと感じたんだ」


この先、彼の思想や哲学が語られるが、彼の言葉を借りるならば、理解するもしないも自由である。しかし、醸造家ジャン ピエール・フリックのワインは、皆を必ず幸せにしてくれると確信している。





物質に隠れた何か


「人智学やビオディナミについての説明にもなるが、物質の後ろには、常にそうでないものがある。建築物であれば、建築される前にその土地をどのようにするかというイメージがある。それは物質ではない。その後、建築家が紙を手にとって絵を描く。イメージと違うだとか、より良いものにしたいだとか、何回も描き直す。ようやく出来上がったデッサンでも、まだその物ではない。そして、建設され、完成となる。ピタゴラスやレオナルド・ダ・ヴィンチが原点となる物質が、飛行機だったりするわけだ。全ての物質の前には、精神が存在する。ワインの後ろにある精神を捉えることが重要だ」


幸せを邪魔するものと戦う


「私は60人くらいの人々とコルマールに植えられている古木を抜き取ったことがある。その木は、発がん性やアルツハイマーの原因になる物質を使い続けていたからだ。私は仕事をし、笑い、ワインを飲み、絵を描き、詩を詠うことに幸せを感じている。幸せのひとつである仕事をするにおいて、それを邪魔するものとは戦わなければいけないと思ったのだ」


感じることが重要

 

「皆、ワインについて学びすぎている。年代だとか、品種だとか、階級とか、造り手は誰かとか、テロワールが何だとか、こうするべきだとか。そんなことで頭がいっぱいになってしまっている。多くの人は、感じる代わりに、知識を探したがる。本来、ワインというのは、ミレジムとか、品種とか、テロワールすらも、どうでも良いんだよ。音楽のようなもので、この音楽は心地よい、この音楽は騒々しい、好き、あまり好きじゃない、以上。私は試飲をしてもらう時、いつもブラインドで行う。情報に頼らず、感じたままを味わってもらいたいからね。けれど、ある時2人の男性が尋ねてきて、いつものように目隠しで試飲させると、ソムリエ風の男性は、セパージュとか年代とかを考えているんだ。もう一人は、『わ!このワイン、足の先まで降りてきた』と言ったんだ。足の指にまでワインを感じるって、素晴らしい表現だよ。造り手として、これ以上幸せなことはない」


幸せの実感


「色々な考え方があり、文化や教育、教養も様々だ。それぞれが好きなようにすれば良いと思う。ただ大切なことは、ワインを飲むということは幸せなことなんだ。願わくば、飲んでもらえる方に、『知識』や『記憶』を揮(ふる)うのではなく、ワインの手触り、飲んだ人のみ知る『実感』を味わって欲しい」



彼の話を聞いて、なるほどと納得する人もいるだろう。理解し難い人も当然いるだろう。更には、反論したい人、粗や矛盾を探す人もいるかもしれない。けれど、彼が最後に「私のような小さな職人が少し変わったワインを造っていて、もしそのワインを飲むことで幸せを感じてくれる人がいるならば、本当に嬉しい」と、少し照れながらポツリと言った。それこそが彼の心からの言葉であり、彼の後ろに存在する精神なのだと思う。

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