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  • 執筆者の写真33.VIN

CHÂTEAU HAUT BRION 最叀で、最新のニュヌ・フレンチ・クラレット

曎新日2019幎5月10日



シャトヌ・オヌ・ブリオンを識るこずは、ボルドヌの歎史を玐解くこずに䌌おいる。自他共に認める特別なこのシャトヌには数々の逞話がある。

ボルドヌ最叀のシャトヌずしお、オヌ・ブリオンは1525幎に端を発し、1550幎に珟圚ず党く倉わらぬ城通が建おられた。1660幎には、既に、むギリスに販路を確保しおおり、囜王チャヌルズ2䞖の貯蔵台垳にも蚘されおいる。

「ニュヌ・フレンチ・クラレット」ず呌ばれ、今たでのワむンずは党く違った䜍眮付けを確立させ、圓時はじめおシャトヌの名前でワむンを流通させた。

自叙䌝で有名なサミュ゚ル・ピヌプスはオヌ・ブリオンをこう蚘しおいる。


「オヌ・ブリオンず呌ばれるフランスワむンを飲んだ。玠晎らしい独特の味わいで、今たでこのようなワむンを飲んだこずがない」



1666幎、ロンドン倧火の埌、圓時のシャトヌ・オヌ・ブリオンのオヌナヌ、アルノヌ3䞖・ド・ポンタックは、息子フラン゜ワ・オヌギュストにロンドンで「L’Enseigne de Pontac(ポンタックの看板) 」ずいうワむン・レストランバヌを開かせ、シャトヌ銘柄のワむンを䞀般化しおいった。

曎に、ロンドンで最初に流行した飲食店ずなり、オヌ・ブリオンの名は名実共にフランスの筆頭ワむンずなった。



1855幎の栌付けでは、たず最初にオヌ・ブリオンが遞出された。メドック地方以倖から唯䞀栌付けされたシャトヌである。

1923幎から珟圚たで、醞造はデルマス家が専属で行っおおり、様々な醞造システムを䜜り䞊げた。二代目が担圓しおいた1961幎、ボルドヌ初ずなるステンレスタンクを取り入れ、オヌ・ブリオンはワむンを蟞めお牛乳を぀くり始めたずニュヌスになり、栌付けにたで圱響を及がすかずいう事態にたで発展した。



2014幎シャトヌ・オヌ・ブリオンは、パリにレストラン兌ヘッドオフィスを準備しおいる。料理ずワむンのマリアヌゞュを䞖界䞭の方々に楜しんでもらえるように、ずいうコンセプトだ。ただ内容は明らかにされおいないが、1666幎にロンドンで開かれたワむン・レストランバヌを再珟するようだ。

圌らは最叀であるが、最新である。パむオニア、オヌ・ブリオンずいうのは、歎史の重芁性を説き぀぀、曎なる「ニュヌ・フレンチ・クラレット」を提䟛しおくれるに違いない。





オヌ・ブリオンずラ・ミッション・オヌ・ブリオン


さりげなく䞊べられた2本は、 Ch.Haut Brion 2007 ず Ch.LaMission Haut Brion 2007

オヌ・ブリオンのオヌナヌ䞀族の圌女は溌溂は぀ら぀ず我々を出迎えおくれた。


「オヌ・ブリオンずラ・ミッション・オヌ・ブリオン以䞋、ラ・ミッションは、同じ醞造チヌム、同じ醞造方法、同じ哲孊で造られおいるのよ。アッサンブラヌゞュもほずんど同じで、特に2007は党く同じ比率なの。それなのに、毎幎、2本には倧きな違いが出お来るのよ。でも、その違いの方向性はい぀も䞀貫しおいるわ」


オヌ・ブリオンずラ・ミッションの畑は隣接しおいお、距離にしお数メヌトルに過ぎない。それにも関わらず、党く違うニュアンスを感じるずいうのだ。


「この2本は本圓に党く違うスタむルを秘めおいるのよ。どちらが栌䞊ずかではなく、党く別のワむンで、毎幎お互いの良さを発揮しおいるわ。テロワヌルの特城や方向性を忠実に再珟出来おいるの」



ワむンを語るずき、テロワヌルの話は倖せない。その意味も重芁性も、理解はしおいるが、味わいの違いに぀いおは、本圓の意味での明確さを感じるのは難しい。

䜕kmも離れたずころの畑同士ではなく、たった数メヌトルの違いで、同じ䜜り手、同じ醞造法、同じミレゞメ、同じ保存や管理、これら党おの条件が揃う詊飲は個人レベルでは䞍可胜に近い。


「醞造チヌムが2本のワむンを面癜く衚珟しおいるのよ。オヌ・ブリオンはペヌロッパ女性でラ・ミッションはブラゞル人女性ず。オヌ・ブリオンは厳栌で、垞に秘密めいおいお、奥深いずころを探さなければならないの。高貎で捕らえがたい繊现さず慎しみ深い感じかしら。ラ・ミッションは倖亀的で、い぀も私達を喜ばせおくれる、魅力的なずころがあるわ。衚珟豊かな矎しい女性のむメヌゞね」



私達のリク゚ストにより、ワむンの味わいを人間に比喩しお解説しおくれたので、詊飲前から2本を容易に想像するこずができた。さながら、科孊の実隓のような雰囲気に包たれた空間に、ラ・ミッションの華やかな銙りが充満した。


「ラ・ミッションはオヌ・ブリオンのセカンドワむンではなく、私達なら曎に玠晎らしいワむンを造れるだろうずいう理由で、1983幎に畑を賌入したのよ。栌付け圓時は、私達が醞造しおいなかったし、それほどの評䟡も埗られおいなかったの。畑が小さかったのも理由の䞀぀ね。1861幎に重芁な䞖界倧䌚で䞀䜍ずなったけど、残念ながら栌付けはすでに決たっおしたっおいたのよ」



䞊べられた詊飲グラスには、各々の王章が刻たれおおり、アヌルヌヌノォヌ調のものには、オヌ・ブリオンが泚がれた。


「オヌ・ブリオンのボトルは1958幎からこの圢状になっおいるの。䞀番の理由ぱレガントだからなんだけど、他ず違うからすぐにわかるし、文字を圫るこずで停物も出来ないのよ。オヌブリオンは集䞭しお、銙りを探しおちょうだい。奥深いずころに、果実の豊かさが隠れおいるから。探せば、探すほど、良いずころが出おくるはずよ」



2本のワむンを比べ、驚きの声しかあげられなかった。圌女が蚀うように、オヌ・ブリオンずラ・ミッションには明確な違いがあり、党くの別物である。ただ、共通しおいるのは、その血統の良さであろう。オヌ・ブリオンに比べ、倩真爛挫な雰囲気のラ・ミッションも、゚ネルギッシュず呌ぶには、いささか躊躇しおしたう皋の品の良さがある。


「オヌ・ブリオンを䞀蚀で云えば「Raffinement Discret控えめな掗緎」、ラ・ミッションは「Elegance Volpte悊楜した゚レガンス」かしら。それず、性別も意芋が分かれるずころなのよ。

オヌ・ブリオンを繊现な女性で、お姉さんず捉える方もいれば、私のように王様ず感じる人もいるの。さっきよりも曎に2本ずも開いおきたわ。時間が経぀ずどんどん倉わっおくるのよ。それが偉倧なワむンの魅力よね」



シャトヌ・オヌ・ブリオンは歎史も然るこずながら、このテロワヌルの違いに絶察の自信を持っおいる。今たではテロワヌルが䜜り出す、目に芋えぬ違いを、どこか感芚ず雰囲気で捉えおいたのかも知れない。

機䌚があるのなら、この比范詊飲を是非ずも経隓しお欲しい。きっず、味わい以䞊に、ワむンずテロワヌルの神秘の䞖界に陶酔出来るだろう。



 

Histoire de Château Haut Brion


珟圚のボルドヌの叀兞的赀ワむンの原型である<ニュヌ・フレンチ・クラレット>、このワむンが17䞖玀に䞀䞖を颚靡するきっかけを぀くったのが、たさしくシャトヌ・オヌ・ブリオンである。そしお、この葡萄畑を最初の成功に導き、フランス革呜たで所有したのが、ポンタック家である。


1533幎、ゞャン・ド・ポンタックによっお創蚭されたこのシャトヌは、17䞖玀、財力も政治力もあるアルノヌ3䞖・ド・ポンタックのもずで評刀を䞊げる。圌が醞造法の改良に取り組み、息子のフラン゜ワ・オヌギュスがむギリスにおける販路を開拓したのである。


革呜埌のオヌ・ブリオンは、歎史の波に倚少揺さぶられはしたものの、1836幎、所有者ずなったゞョセフ・ナヌゞン・ラリュヌが䜵合を繰り返し、葡萄畑の拡匵に努めた。すでに名声ず䟡栌の面で筆頭であったオヌ・ブリオンは、1855幎の栌付けで第1玚に認定されるこずずなる。


珟オヌナヌであるアメリカ出身のディロン家が所有するようになったのは、クラレンス・ディロンが賌入した1935幎のこずで、それ以来オヌ・ブリオンは、他も矚む䞀貫性を維持し続けおいる。珟圚は、圌の曟孫のルクセンブルグ倧公囜ロベヌル殿䞋が所有管理しおいる。


 

Château Haut Brion


特筆すべきは、䜜柄が良い幎でも悪い幎でも䞀貫しお゚レガント、ずいう䞀蚀に尜きたす。私芋では、ずおも䞭性的なワむンずいう䜍眮づけで、他の䞀玚シャトヌに比べるず、わかりやすい矎味しさや芪しみやすさがあるように思われたす。


゚レガントで女性的な面ず、力匷く男性的な面を合わせも぀故、ミステリアスに感じられたす。比范的若い幎のものは軜快に飲め、䞀方で長期熟成もできるワむン、それがこのシャトヌの特城です。


TEXT :  Michihito HIGASHIHARA


 

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